はじめに:救済の天使など、この掃き溜めにはいない
ヒロインなんてものは、大抵が吐き気を催すような綺麗事や道徳を主人公に説くスピーカーに過ぎない。
だが、C.C.(シーツー)は違う。
もしあなたが、彼女を「ピザをかじるミステリアスな美少女」程度に消費しているなら、今すぐブラウザを閉じて手垢のついたまとめサイトにでも帰るべきだ。
彼女は、主人公を正道に導く天使などではない。世界というイカサマだらけのテーブルで、共に地獄へ堕ちることを選んだ「究極の共犯者」だ。
これは、期待値ゼロの日常という泥水をすすり、何かを信じることすら面倒になった大人たちにだけ効く、致死量の劇薬についてのレポートである。
ネタバレ注意
永遠という名の呪い。すり減った大人を映す「冷たい鏡」
彼女の瞳の奥には、常に底冷えするほどの諦観が張り付いている。
数百年の時を生きる不老不死の魔女にとって、帝国の興亡も、人間の血みどろの足掻きも、すべては盤上の退屈な遊戯だ。ルルーシュが命を懸けて世界をひっくり返そうとする隣で、彼女はただアンニュイにピザを平らげている。
この圧倒的な「無関心」の正体は何か。それは、理不尽なシステムに組み込まれ、いつしか怒ることも熱狂することもやめてしまった、我々自身の姿だ。
「どうせ世界は変わらない」「所詮は胴元が勝つように出来ている」。そうやって自分の人生というゲームからとっくに降りて、冷めた目で自分自身を見下ろしている大人たち。だからこそ、彼女の抱える虚無の匂いは、俺たちの鼻腔を強烈に刺激する。彼女は、鏡なのだ。
正義(ガラクタ)を蹴り飛ばす「共犯者」。破滅へのレイズを全肯定するカタルシス
ただの冷めた傍観者なら、そこら中にいる。彼女が真の劇薬へと変貌するのは、ルルーシュという男の「エゴイズムを全肯定し、共犯者として同じテーブルに着く瞬間」だ。
ルルーシュの戦いは、嘘で塗り固められ、他人の命をチップとしてテーブルに放り投げる外道の道だ。普通の女なら、泣き叫んでその腕を止めるだろう。だが、C.C.は世間の倫理というガラクタを一蹴する。
「お前が魔王になるなら、私は魔女になればいい」
彼女は、正しいか間違っているかなど一切問わない。ルルーシュの「どうしても世界を壊したい」という泥臭く非合理なエゴを、ただありのままに肯定し、自らも泥を被る。
俺たち大人は、雁字搦めの日常の中で「たまには倫理や世間体なんて全てドブに捨てて、自分の欲望のままに大博打を打ちたい」という狂った願望を飼い殺しにしている。C.C.は、そんな俺たちの奥底にあるどす黒いエゴすらも許容し、共に破滅のテーブルで笑ってくれる圧倒的な肯定者だ。
賢しい期待値計算の先にある勝利など、所詮は小銭だ。理屈を捨てた本能の爆発こそが至高。彼女がルルーシュの隣で不敵に微笑むとき、俺たちの脳髄には理屈を超えた極上のカタルシス(脳汁)が溢れ出す。
まとめ:彼女は、理不尽な世界に対する「最高設定のジョーカー」だ
C.C.は、消費されるためのキャラクターではない。 孤独や諦めといった大人の痛みに寄り添いながら、「もっと自分のエゴを剥き出しにして、この理不尽な世界で賭けに出ろ」と耳元で囁く、甘く危険なジョーカーだ。
もしあんたが、退屈な日常の損益計算に嫌気が差しているのなら。『コードギアス』を観て、この「究極の共犯者」がもたらすカタルシスを浴びろ。
間違いなく、あんたの中で死に体になっていた勝負師の血が、再びドクドクと脈打ち始めるはずだ。


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